まだまだそれじゃ足りないとても

松倉海斗くんが好きな人のブログです。

お誕生日おめでとうございます

松倉海斗くん、20歳のお誕生日おめでとうございます。


突然ですが、私の松倉海斗テーマソングは、Sexy Zoneの「Congratulations」です。あらゆるものが一斉に動き出す春。何かが始まって、何かが終わる季節。そんな春を背景に、夢に向かって頑張る人を応援する曲。松倉さんには、「努力」や「がんばって」、「夢」「Smile」といったワードがとても似合うと思います。まさに彼は「夢」に向かって「笑顔」で「努力」して「がんばって」いる人。だから、「咲かせてやれ」と力強く応援するこの歌が私は大好きなんです。

「Congratulations」と言えば、時にはバックで誰よりも大きく踊り、時にはピンクの布を纏い大階段を下りながら歌う松倉さんの姿を思い出します。あれから3年半が経ち、心身ともに成長した*1松倉さん。
特に二十歳を迎える今年は、ついこの間まで興味がないと言っていた車の免許を取ったり、NYに一人旅をしたりと、少し寂しくなるくらい、いつの間にか大人になったんだなぁと思うことが多かった一年でした。

ハタチのお誕生日記念で、せっかくだから何かしようと考えたとき、私みたいなヲタクができることはただ一つ、振り返りと言う名の懐古でした。なので、通常運転ではありますがw懐古厨らしく懐古しようと思います。
とは言えただの懐古ではつまらないし、先月入所7周年を迎えたということで、知っている限り(調べられる限り)入所1年目から順に暦を辿ってみよう!ちゃーんちゃらららちゃららら〜一年は12ヶ月〜♪



12歳。
中学一年生。嵐の二宮くんに憧れ、自ら履歴書を送り見事合格、ジャニーズ事務所に入所。


13歳。始まりの年。
初ステージの東西歌合戦で、ジャPAニーズHi*2のメンバーとしてお披露目され、松倉さんのジャニーズ人生は幕を開けました。
その後雑誌に呼ばれたり、コンサートや舞台(JUMPサマリー)、スマスマに出演したりと、色々なお仕事に取り組んだ入所1年目。


14歳。飛躍の年。
個人的な話で恐縮ですが、何気なく見ていたヤンヤンJUMPで、はるなつあきふゆをシャカリキに踊る君を見つけ、この子だ!って思った。ネットを漁り少クラを探し、彼の名前は松倉海斗くんだと知ったあの日の、シャカリキなダンスにヲタク心が騒いだあの時のことはきっとこの先も忘れられない。自担を初めて見つけた日って、そういうものだと思う。折れそうなほど細い腕をブンブン振り回して、つま先で立つ癖があって、誰よりも大きく誰よりも輝く笑顔で踊る松倉さんが大好きだったなぁ。
アピールポイントとしてよく話していた、「シャカリキダンスと笑顔」を武器に、様々なコンサートや、JJL・サマリーに出演し、徐々に知名度も立ち位置も良くなって一気にファンを獲得していった2年目。


15歳。精進の年。
初めての長期舞台「JOHNNYS' World」。三ヶ月間、何回かお休みはあれど、学校に通いながらよく頑張ったねと褒めてあげたい(;_;)光子の花が〜♪もかわいかったけれど、私は何と言ってもウェアマイ推し。今の松倉さんにもう一度踊って欲しい曲No.1。
春にはSexy boysとしてクリエに出演し、少クラの「Anniversary」で久々のハンドマイク。そして松松揃ってMyojoに初登場*3、秋には「DREAM BOYS JET」にも出演を果たす。二つの長期舞台を通して、先輩(それこそ寺西とか)との絡みやエピソードが聞けたのがとても新鮮だった記憶があります。お仕事もとても充実していた3年目。


16歳。激動の年。
「SHARK 〜2nd Season〜」でドラマ初出演&初茶髪!
そして5月、Sexy松結成。あの時は想像の斜め上を行き過ぎていて、あまり記憶がないくらいw「世界中の『松』を超えたい」*4という松倉さんのコメントが新聞やWS、ネットニュースに取り上げられまくり、私自身大学入学でバタバタしていたのもあって、驚くというよりは夢見心地というか。他人事のように眺めていたなぁ。
あと、忘れてはならない「ジャニーズJr. No.1決定戦」に「ガムシャラ」。ガムシャラと言えばチーム者!案の定(失礼)初めはファンカッションに苦戦していた松倉さんだけれど、どんどん上達してチームの絆も強くなって。Jr.もヲタクも熱かったよねー!公演もセトリが素晴らしくて楽しかった。EXで暑い夏を過ごした4年目。


17歳。出会いの年。
ニコニコォ〜〜!!!松倉さんと言えば笑顔、わかる。当て書きしてくださった脚本家さんに感謝しかない。ニコニコォ〜〜!!!(馬鹿の一つ覚え)
5月、Sexy松としてメインで出演したクリエが終わるとともに発表されたSHOCK出演。*5実はこの年の帝劇公演を2回観劇していた松倉さん。とは言え、最初に聞いた時は正直信じられなかったなぁ。それから4ヶ月の間、期待と不安が入り混じったまま、ただただ幕が開くのを待ち続けて、ようやく迎えた初日。きっと忘れられない、2015年9月8日。幕が上がりそこにいたのは、綺麗な衣装を着て、SHOCKカンパニーの「カイト」として立派にステージに立つ松倉さんの姿だった。必死で頑張ったであろう稽古の一ヶ月間を想像したら、涙が止まらなかった。だって、今までとまるで別人のようだったから。
SHOCK関連で好きなエピソードの一つが、10/7発売のDuet11月号。

Q. 「SHOCK」出演の感想は?
決まったときはビックリしたよ。「光一くんは怖くないかな…」って心配になったけど、あいさつに行ったらやさしくてホッとした。そのときに、いつもお世話になってる振りつけ師さんが「松倉はなんでも全力でやるし、笑顔を絶やさない」って言ってくれたのもうれしくて。「期待にこたえなきゃ!」って思ったよ。

見ていてくれる人が周りにいるんだとすごく嬉しかったのを覚えている。

千穐楽の個人挨拶の最後で、「SHOCK最高〜!!」と叫んでいた松倉さん。本当にSHOCKが大好きなのだなぁとしみじみした。彼にとってかけがえのない作品に出会った5年目。


18歳。結実の年。
春は帝劇、クリエ、夏はサマステにサマパラ、秋はジャニフワとまさに現場の一年だったこの年。同時に、ユニットの壁を感じる場面もあって、悔しい思いもした年。この時感じた悔しい気持ちは、ずっと忘れちゃいけないと思う。でも、どの現場においても、SHOCKでの経験を生かしたパフォーマンスは素晴らしかったし、SHOCKを離れてまた別の環境に入ると、その経験がまたよく映えた。努力が一つずつ実になっていることを確信しました。久々に現場尽くめだった6年目。


19歳。爛漫の年。
初めて、約半年をSHOCKに費やした一年。
シンメのげんげんとSHOCKのステージに立った帝劇公演。そして二年ぶりの地方公演は、いつだって今の松倉さんが一番好きだと改めて思った公演でした。大千穐楽のカテコでは、びっくりするくらい終始泣いていた松倉さん。あんなに泣いている姿を見たのは初めてで、涙の理由をあれこれ推測しながら、達成感と寂しさと、言葉にならない思いで胸がいっぱいになった。十代最後のステージとなったSHOCKで、大きな花を咲かせた7年目。


そして、20歳。
13歳から今まで、ジャニーズとして生きてくれてありがとう。素敵な景色を見せてくれてありがとう。
これからも、真っ直ぐ自分らしく、自信を持って自分の道を突き進んで行ってください。
あなたなら、これからどんな状況になろうと、真摯に向き合い努力し続けられる。
たくさんの人を幸せにするアイドルでいてください。そして、誰よりも幸せになってください。あなたの努力は、必ず大きな花を咲かせるの。
でも、時々心配になるから、頑張りすぎないで欲しい。真面目すぎないで欲しい。もう少し、昔みたいに笑っている姿も見たい!けれど、元気でいてくれたらそれだけで良いです。ちょっとしたことで考えすぎちゃったり、気を遣いすぎたり、落ち込んだり。そういうところも含めて、みんなあなたが大好きなんだよ。自信を持って、胸張って、これからの活動も頑張ってください。


お誕生日おめでとうございます。
爛漫と咲き渡るあなたの花が、たくさんの人の目に映りますように。

*1:身長はあまり変わらなかったねゴメン

*2:改めて目を疑う表記のダサさ

*3:初登場が女装って今考えてもパンチありすぎ

*4:松倉さんへ:150字以内で意味を説明しなさい

*5:博多座のフライングは伝説